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死生観と、日本人。

日本は仏教信仰が主とされている。

死んだら、葬式を上げて、来るのはお坊さんだ。
「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」

小さい頃は、父方、母方で言い方が違うことに吃驚していた記憶が有る。

そんな日本だが、結婚式は、キリスト方式が主流だ。
ウエディングドレスを着て「アーメン」である。

個人的に「いつくしみ深き」の讃美歌を覚える程、友人の
結婚式に参加しているわけだが、友達の結婚式は、み~んな、キリスト式。
まぁ、和装花嫁衣裳よりは、ウエディングドレスに憧れる女の子の気持ちは
わからなくもない。

……でもそれって、宗教上どうなの?
なんて、誰も不思議に思わない。

それが、日本人である。

何でも受け入れる寛容な心、といったところか。

だが、それは特定の「宗教」を持たないだけに、自分が困難に陥った時、
縋るものが無い、ということである。


「神様、仏様、キリスト様!!」

なんてギャグが有るけど、これって日本の独特の宗教観をあらわしている。



ダ・ヴィンチ最新号を書店で見かけた。特集が「西尾維新」氏だったので
気になったのと、友人の女性が鼻息荒く「ダ・ヴィンチ」の素晴らしさを
得々と語っていたことを思い出したのとで、気になって買ってみた。

ちなみに、その女性は今や二児の母。絵本を読むのが上手だそうで
(そりゃそうか)読み聞かせ会、なるものに率先して出かけているとかなんとか。


で、ダ・ヴィンチの巻末に「しりあがり寿」先生の漫画が載っていた。
「VOW」等のサブカルチャーモノで有名な先生の作品は、どこか
不思議で柔軟な思考でないと、読み辛い。

そんな筆者の漫画のタイトルは「はーいメメントモリ」。
メメントモリ、とは「死を記憶せよ」の意。

人はいつか、死ぬ。……それを忘れるな、という意味だ。


「メメントモリ」のタイトルにふさわしく、漫画の内容は
「あの世」がついに映像として世界に露出してしまった、という
ことで人々が「あの世」を見る。

「あれは……私のパパだわ」「楽しそう……」
「そうか、死んだら……あそこに行くことになるんだな」

「あの世」があり、そこには最愛の人が「先に待っている」と思うことで、
生きること、そして死ぬことの再確認が出来る。

と、いう内容の漫画だった。



キリスト教では、生への執着心を捨て、来世で救われる為に
「いつか死ぬからと言って、生を冒涜するな」とある。

ちなみに、キリスト教では死んだら天国に行く。
(悪いことをしたら、地獄へ行く、という説明は間違っていて、信仰を
深めることで、人は天国へ行くのだという解釈)

そして「最後の審判」が下さるまで、その国で生きる。
「最後の審判」で、死者は復活するのだ。

「死」とは終わりではなく、その日が来るまでの待機期間、ということである。

仏教には「天国」は無い。
よく言われる「輪廻転生」が仏教の「死生観」である。
生きている時に「良いことをしたら」幸せな人間に。
「悪いことをしたら」虫や動物に転生する、というもの。

まぁ、宗教の間でこれだけの違い、解釈が「死」には存在しているが

敢えて共通している、といえば「死は無では無い」ということか。

=「死ぬことには、意味が有る」「その先がある」


だが無宗派は「死んだらおしまい」と思っている。
「生まれ変われる」とか「天国」だとか、そんなものは、ない。
火葬をすれば灰になる。……それだけだ、と。

「死」とは「無」である。それ以上でも、それ以下でもない。

……だから、自爆テロの気持ちはわからないだろうし、
特攻隊の「靖国で会おう」という気持ちもわからない。


何かに「縋る」ことをしないことは、リアリストなのかもしれない。
だが、弱い人間が、宗教……ではなくても「生きる意味」とか
「この世に生まれたからには、存在理由が有っても良いのではないか」
といった「欲求」は有って然り、だと思う。


日本人は、この辺りが曖昧である。
「死んだら、どうなる?」と考える時、天国……や輪廻転生を
浮かべる人はどれくらいいるのだろう。

恐らくほとんどの人が「無」と考えるのかもしれない。
それが「無宗派」の多い、日本人なのではないだろうか。

私個人で考えるなら、天国が存在するのなら、死んだ「あの人」や
「あの人」が見守ってくれる、ということで、生きる糧にはなる。

輪廻転生……も、素晴らしいと思う。元気な男の子になっているのかも
しれない。もしかしたら、近所の、あのちびっ子が、死んだ「あの人」
の生まれ変わりかもしれない。

だが「無」と考えると、それは悲しいことである。
現実、と捉えることも大事かもしれないが、

そうやって切り捨てることが出来る程、現実は「甘いセカイ」では
無い。


なんだか、ちょっとそういったことを考えながら、雑誌を閉じた。

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[ 2011/03/29 22:22 ] ぼやき | TB(0) | CM(0)
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