ぼやき、つぶやき、その日の、とりとめもないことを徒然なるままに。
【クロノクロック】応援バナー
当ブログは「Purple software」を応援しています。
レズコプター
TVアニメーション「艦隊これくしょん」公式サイト

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[タグ未指定]
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

「喜怒哀楽」について。

「喜怒哀楽」とは人間が持つ基本的な感情を指すこと、という意味らしいです。
よろこび、いかり、かなしみ、たのしみ。

ちなみに、中国では、これに「怨み」が入って、「五情」というらしいです。

「喜び」「楽しい」という感情が、大事なのは当然ですよね。
この2つはどちらかと言えば良いイメージですから……分かり易いです。

では「怒る」「悲しむ」はどうでしょうか。
怒ることの大事さは、社会人になればなるほど、重要と感じてきました。
相手を怒ることも、相手を想う感情手段の一つです。

同様に、「悲しむ」ことも。

大切なモノを失ったとき、自然と出る感情が「悲しむ」だと思います。
決してマイナスではない、素直な感情。
これを引き出す事で、それを想い、偲ぶことが出来るのではないでしょうか。
それはきっと、「悲しい」という感情でしか、表せないことです。

喜怒哀楽、という言葉は元々儒教から来た言葉らしいです。

では、これに「怨み」を入れるのはどうよ、となります。
怨み……は、正直マイナスの意味しか浮かびません。怨む事で、
意味を成すのは、怨んだ人間「自身」の感情が満たされる事「のみ」。
怨まれた人間には何のメリットもありません。
……どころか、デメリットばかりです。

そういう意味で敢えて感情という括りから外して考えるのは、まぁ
良いことかなぁ、とも思ったりします。

ですが、忘れてはいけないのはこの「怨む」ことが「五情」の中に
入っている、ということ。色々な感情表現が有る中で敢えてこの
「怨む」を組み込む意味。……考えると、ちょっと怖いですね。

「怨む」ことは、人間にとって代表的な感情の一つ、なのでしょう。

「憎しみ(にくしみ)」とも置き換えられると思いますが、それは
圧倒的に他者に向けられた、その人自身の「エゴ」をぶつけてますよね。

ヒトは誰しも他人と比較します。
そして「俺はコイツより劣っている」「俺はコイツよりマシだ」……と。
優れているものに、ヒトは「憎しみ」を、抱く。

ヒトは傷付き易い、と言います。
だから、自分を傷つけた相手に「怨み」を、抱く。

「怨み」「憎しみ」、この2つは、自分を守る防衛本能がさせている感情だと、
割り切れれば良いのですが……(もし、この感情が欠落していたら、
「ナニクソ!あいつに負けてなるものか!」という向上心が無くなるような
気もしますねぇ)

様々な感情を持つ「ヒト」の代表的な5つ、の中に「怨み」を入れる
このセンス。……面白いなぁ、と思いつつ、ヒトのエゴはあらためて
怖いなぁ、と感じずにはいられませんね。

でも、それだったら、そういう「負」の感情を失くせば良いのか、というと
実はそれも違う話のような気もしますね。

結論の出ない所が、こういう議論の面白い所ですが、皆さんは
どうお考えですか??














>由那の森さん
仰るとおりで、ガチガチな頭で考える方はガス抜きが出来ず
パンクしてしまいます。その結果、深刻な結果になることも。
割り切れば済むような事も、ストレスとして溜め込んでしまうわけです。

その為の、感情なんでしょうね。

[タグ未指定]
[ 2009/07/21 23:52 ] ぼやき | TB(0) | CM(1)
喜怒哀楽に怨み。
さすが中国かもーと思わず思ってしまいました(悪い意味ではないです)。

由那の森は、五情はアリだと思います。
人などを怨む。
確かにそれは両者にとってマイナスであると思います。
一方的な思いなわけですから。
けど、怨みを表現することで内にこもる感情を発散させられるという点ではマイナスではないはずです。

どんな感情であっても外に発散させる術をもたない人は、つぶれるように思えます。
楽しいだけ、喜んでいるだけの人間はどこか欠落しているか、それに反する感情を押し込めている可能性があるように思えます。
発散できなければ、どんどん感情がたまっていきそして最後は爆発します。
外へ爆発するのか、内に爆発するのか。どっちにしても社会や身内に影響を与えるのは確かでしょう。

なんにしても日本人は感情を表すのが下手のように思えます。
喜ぶときは喜び、
楽しいときは楽しく、
哀しいときは哀しく、
怒るときは怒る、
怨むときは怨む、
気持ちを下手に縛り付けず、自由にそして制御することが何よりも重要なのではないのだろうかーと由那の森は思います。
大人であっても、子供であってもそこは変わらないと感じます。
発散させる場所が公的な空間なのか、私的な空間の違いかなと。

若輩ながら由那の森はそう捉えています。
生意気でしたらすみません(汗

[ 2009/07/22 22:20 ] [ 編集 ]
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。