商売人の女性として、社長として、そして数多くの兄弟の母親として。
そんな、父方の祖母が、亡くなった。
今日、取り急ぎ通夜に参加。焼香を済ませ、明日は会社があり、
どうしても休めないと謝罪。
「商売人のおばあちゃんやから、きっとわかってくれると思うよ」
と、おばあちゃんを最後まで介護してくれた伯母さんに言われ、
躊躇いつつも、通夜後の食事を遠慮して、帰宅した。
……死ぬこと、とは無常であります。
と、お坊様が仰られていた。
僕にとっては、
母を失ったこと。
そして、サークルの先輩を失ったこと。
……を思い出した。
無常。
目にある全てのものは、必ず「消滅」する、ということ。
永遠、なんてものは無いから、今の、この輝き――を大切にする。
日本人の美意識はこの「儚さ」を大切にしている。
「桜」などもそうだろう。
「散るからこそ、美しい」
「死」に対して意識したのは、やはり母を亡くしたとき。
寂しさ、というよりも、残された……もちろん、僕もそうだが……
父親の事を心配してしまった。
あの、厳しい父親が、取り乱して涙した姿を、今でも
鮮明に覚えている。
いずれ、お別れをするからこそ、全力で、人は「生きていかなければ」
いけないんだろうか。
母が教えてくれたこと。
先輩が教えてくれたこと。
そして、おばあちゃんが、教えてくれたこと。
生きている者は、死んだ者の想いを受け継いで、前へ、前へ、生きていく。
……見ていて下さいね。
>二東さん
有り難う御座います。
見守ってください、というのは勿論、おばあちゃん……であり、
母にも……という意味です。
あの世、とか、霊……とか、そういうのはこの際置いておいて。
確かに「忘れぬ限り」、その人の想い、信念は引き継がれていくわけです。
それを引き継ぐこと。
本当に、こうしてほしかった、こうなってほしかった、という願いを
叶える……残された、私たちの役目なのかな、と思っちゃいますね。
貴方が御祖母堂様に願う、見ていて欲しいという気持ちが、いつの日か形となり、安心して見ていられる、その日が来ることを、切に願います。
平成22年1月16日
二東